アート・アーティスト
美しいものは自然。
自然なものは美しい。
2009
新しくて古いもの
古くて新しいもの
温故知新
温新知古
滅多に出くわさないが、そんな世界を感じさせてくれるものを見つけた時に幸せを感じる
上品なアヴァンギャルドとはそういうもの
2011
ただ暴れただけじゃ、前衛でもなんでもない。
そんなものには直ぐに飽きがくる。
暴れても上品でないと切なくない。
上品で聖なる前衛でないとつまらん。
2001
1ミリでも昨日の自分から前に進む。その繰り返しがアバンギャルドということ。
1999
良い作家、良い作品がその時代に受け入れられるのは非常に稀なことだ。
アーティストは、死ぬまで受け入れられなくても構わないという覚悟が必要。
簡単に世に受け入れられる方が気持ちが悪い。受けたら徹底的に疑うこと! 
大切なのは、時代の篩から落とされることなく現在まで伝承され続けてきた古典や歴史を徹底的に学ぶこと。そして今を自分らしく生きること。これアートの大切なキーである。
2001
名前を聞いて作品のイメージが出てこない書家がほとんど。
1998
「絵画と比較すると、書は直ぐにできてしまうから、価値が低い」。過去、海外においてそう言われ悔しい思いをした。しかし、今では「柿沼の書は、単なる書でも絵でもない。新しいアートだ。グレートだ」と言われるようになった。書のようで書でもなく、絵のようで絵でもない。一切の迷いと妥協を許さず、計算と洗練の果てに生み出されるその一瞬には私の命が燃焼し爆発する。そこに日本文化芸術全体を理解する上で不可欠な時間感覚と大和魂が存在するのだ。「永遠の刹那」、米国で「Eternal Now-エターナル・ナウ」と私のアートに対して名付けられた所以だ。 「永遠の刹那」、それは、「書」のみならず日本文化全てに内在される神秘性、そして奥義であると確信を得たことが、この一年の大きな収穫であった。この超然とした時間感覚と気合、集中力の中に海外の人たちは、日本人独特の精神や歴史を見るのだ。そして1アーティストとして存在し、1アートとして成立させるために必要とされるのは、それらを自分独自の新たな方法論で表現しなければならないこと。どこかの誰かの真似では意味がないということだ。だから過去の先人達のお手本をゴミ箱に捨てるか、書の歴史に中指を立てるくらい覚悟が必要となろう。
歴史の咀嚼は勿論、それを踏まえた上で、現在、何百何千年の未来をも踏まえた仮説を立て、自分独自のストーリーを作り上げること。その物語を西欧人に時間をかけて丁寧に説明していくことが大切。
2008
書は、これまで生きてきた時間+数秒が凝縮される。
2008
孤独
それが作家です。
人間の本来の姿です。
真の作家とは、他人を意識した活動ではなく、孤独でしかない自分を自覚した表現であるべき。
それは一種の笑いのようにポジティブであるべき。
説教とか議論とかの間逆の。
アートは信仰でしかない.
2012
芸術とは、本来自分一人でやるもの。
バンドであってもオーケストラであっても、
個々それぞれの孤独が相まって全体の作品を作り出す。
自分の腹から出たがっている感情と真っ向勝負することが制作でありアーティストの仕事だ。
その行為が、個性となり作品となる。孤独と向き合ってなんぼ、それに最後の最後まで耐えられか。それが才能だろう。
2013
アートの反対は数学。あるいは計算。
2008
何事も“丁度いい”ってのが最も危険。
そこからは問題意識は生まれないから。
2006
アートは安定を嫌い、不安定と仲良しだ。
2012
過去でも未来でもなく“今“を表現するのが現代アート。
2013
何という言葉、文字を表面上書いていようとも、心の中ではこう叫びながら書いている気がする。
“今、今、今、俺、俺、俺、馬鹿野郎、馬鹿野郎、馬鹿野郎”
2015
ぱーっと開いているもの。ぱーっと開かれているもの。
2013
ちゃちゃちゃと字を書いて「書って現代アートだよね」とか簡単に言ってほしくない。書の歴史はそんな簡単じゃないし、音楽や絵画、彫刻など一級のアートに対しても実に失礼な話だ。
2013
電源が無いんで表現できません。そういうジャンルにはあまり興味ない。今、そんなんばっか。
2014
自分にとってデジタルの反対はフィジカル。書はアナログじゃなくてフィジカルなアート。
2016
言葉で説明し尽くせないのがアート。
2001
アートの説明ほどいい加減なものはない。
2008
作品観て、思わず笑っちゃうようなのを創りたい。
できれば笑い泣きしちゃうくらいのもの。
2016